秋の澄んだ空気の中、偶然通りかかった神社で「収穫祭」が行われていました。母と2人で車をゆっくり走らせ様子をうかがっていると、案内係の男性に「こちらへどうぞ!」と誘導されるままに駐車場へ。親切な対応に少し緊張が解けて、ちょっと覗いてみることにしました。
白いテントと 折りたたみの会議用机に、パイプ椅子が並んでいます。そこには手作りの小物やアクセサリー、絵本などがテーブルいっぱいに並んでいます。人形や、カラフルな布でできたポーチなど、どれも温かみを感じるものばかりです。
婦人会の方たちは、熱々のぜんざい、ピザ窯で焼きたてのピザを焼いたり、焼き芋、クレープ、ビールまで並び、にぎやかな屋台も沢山出ていて子供からお年寄りまで皆が楽しそうに、それぞれの時間を過ごしています。立ち話をする人の表情も、ほっこりしていてあたたかいです。
私も母と一緒に「よもぎぜんざい」を買ってテーブルに座りました。湯気が上がるお椀からは、ほのかによもぎの香りが漂ってきて、寒い秋の頃にぴったりです。
ふと隣の席に座った女性と目があいました。一人で来ていたご婦人が「これ、一切たべませんか?」と私たちに声をかけてくれて、焼きたてのピザを勧めてくれました。「いや・・・私たちもお腹いっぱいなので大丈夫です」とお断りしたのですが、「私一人では食べきれないし、家に持って帰っても冷めちゃって美味しくなくなるから・・・」と女性に進められて一切れずついただくことにしました。ピザ釜で焼いた焼き立ての熱々のピザは、チーズがとろけて具材の野菜も新鮮で本当に美味しかったです。
女性もこの一口が食べたかったのでしょう、私たちの他にもおすそ分けしていました。何気ないこんなやり取りの光景が、どこか懐かしく心が穏やかな気分になりました。人と人の距離が難しいな、距離感が分からない・・・と感じていた疫病の後でもあったので、懐かしく心が穏やかになりこんなやり取りが人の心を和ませるのだと感じるのと同時に、「分かち合い」や「おすそ分け」の心は昔から変わらず、私たちの心に大切に続いているのだと感じました。
稲が刈り取られた後の田んぼに作られた特設ステージでは、地元の歌手が懐かしいナツメロを歌い、みんなが手拍子を打ちながら一緒に口ずさむシーンは、何とも言えない一体感に満ちていました。何世紀前も1000年前もずっと前から、収穫祭には楽器を演奏する人がいて、みんなで踊り、声を合わせて歌っていたでしょう。音楽や踊りには、人々をひとつにする不思議な力があり、言葉を交わさなくても「同じ時間を共有している」という喜びが広がります。文明が発達し技術が発展した今でも、歌や踊りの力は変わらず、みんなの心を和ませてくれるのですね
温かい食べ物やその年に取れた美味しい食材を使った食事を振舞い、歌があれば皆で楽しみ盛り上がるーーーーーーその楽しさや嬉しさなど、目の前に広がる景色を見ていると、「1000年前もこうして収穫を祝い、みんなで喜びを分かち合っていたろうなな」と心の中で感じました。文明が発達し便利なものがどんどん増えている現代ですが、このような「人と人のつながり」や「収穫を祝う気持ち」は、昔も今も変わらず受け継がれているのだろうと思いました。
神社の神様が今の私たちを見ていたら、「昔も今も人の心は変わらないね」と、優しいまなざしで見守ってくれているのではないかな・・・。
昔も今も、神社は「神様」と「人」がつながる特別な場所です。 収穫祭を神社で行うことで、神様に「今年もありがとうございます」と感謝の気持ちを伝え、また「来年」 「また豊かな収穫がありますように」と祈ります。
現代においても、この「神様との絆」を感じる場所として神社は変わらず大切にされ人々が集まり、収穫に感謝する場として存在しています。 こうして何世紀前の人たち、1000年前の人たち昔の人たちと同じように神様に感謝し、豊作の喜びを分かち合うことに参加させてもらえて、なんだか心がすっきりしました。現代では私たちの食卓に食べ物が並ぶのが当たり前に感じられますが、当たり前ではないことを知り感謝しながらいただきことを再確認しました。
